
ポワトゥー伯となる
4月、15歳のジャンはポワトゥー伯となり、6月には「ロワール流域からラングドック地方に広がる全ての所領の国王代理官」となった。この代理権はポワトゥー、リムザン、アングモア、サントンジュ、ベリー、ペリゴール、オーヴェルニュ、ラングドックの管轄区を含む広域(右図の青い部分 南西部のイギリス王の所領を囲んでいる)におよび、ブシコー元帥などの助言を得ながら統治した。またブルージュはジャンの死まで親王領の首都となった。
9月19日、ジャン2世はポワティエでイギリス軍に敗れ、エドワード黒太子に捕らえられた。ジャンはオーヴェルニュ、ラングドックに居住し、イギリス軍に対抗する組織作りを援助し、ジャン2世の身代金調達に当たった。その後ポワトゥー伯領がイギリス軍に占領され、イギリス国王エドワード3世に割譲されると、摂政の兄シャルルからマコン伯領を得た。
ベリー侯の豪華時禱書 中央公論社
ベリー公のいとも豪華なる時禱書
ベリー公の生涯 年表1 年表2
地図 世界各国史12 フランス史 山川出版社
9月19日、ジャン2世はポワティエでイギリス軍に敗れ、エドワード黒太子に捕らえられた。ジャンはオーヴェルニュ、ラングドックに居住し、イギリス軍に対抗する組織作りを援助し、ジャン2世の身代金調達に当たった。その後ポワトゥー伯領がイギリス軍に占領され、イギリス国王エドワード3世に割譲されると、摂政の兄シャルルからマコン伯領を得た。
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